大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていて、「あれ?頼朝ってこんなに兄弟いるの?」と思ったことはありませんか?
よく知られている頼朝の兄弟は、義経だけだと思いますが、大河ドラマでは何人もの兄弟が頼朝の元に集まってともに戦っています。
頼朝は三郎(三男)、義経は九郎(九男)と、他にもたくさん兄弟がいることが見て取れます。
ここでは源頼朝の兄弟をまとめてみたいと思います。
源頼朝の兄弟は何人?
源頼朝の兄弟は、男が9人、女が3人以上とされています。
この時代、女性は歴史の表舞台に登場することは少なく、史料などにも名前すら記載されていません。
源頼朝の父である源義朝には、平家物語に出てくる「坊門の姫」と、平治物語に出てくる「江口腹娘」「夜叉御前」という娘がいるとされています。
このことから3人は娘がいたのではないかと言われますが、史料に残っているわけではないので詳細は不明です。
そこで、以下には記録に残っている源義朝の9人の男子をご紹介します。
源義平
長男は源義平(よしひら)という人物です。
武勇に優れていることで有名で、「悪源太義平」という通り名を持っています。
この「悪」という文字は当時の感覚で言うと「わるい」という意味ではなく、「恐ろしく強い」というような意味合いです。
「源」は源氏のこと、「太」は太郎、つまり長男のことを意味します。
つまり、この人は「恐ろしく強い源氏の長男義平」と呼ばれていたことになります。
歴史好きの人にはわりと知られている人物ですが、源頼朝のお兄さんであることは知らなかったという方も多いかもしれません。
源朝長
次男は源朝長(ともなが)です。
「松田」という地の領主であったため、松田殿などとも呼ばれていました。
平清盛と父・源義朝が戦った「平治の乱」に参戦しており、敗戦後に落ち延びる途中で負ったケガが元となって亡くなったとされています。
源頼朝
源頼朝は源義朝の三男です。
父が敗れた「平治の乱」の時には13歳、その後は14歳で伊豆へ流されます。
源義門
源義門(よしかど)は四男です。
頼朝と同じ母親であるとされていますが、年若くして亡くなっているため、ほとんど記録がありません。
平治の乱の際には存命であったとされており、この戦で亡くなったという説もあります。
源希義
源希義(まれよし)は五男です。
平治の乱で父が敗北すると、頼朝が伊豆に流罪になったように、希義は土佐への流罪となります。
頼朝挙兵を受けて、これに参加しようとしますが、四国の平氏方にバレて挙兵に参加する前に殺害されることになります。
頼朝は後年、大軍を派遣して希義の仇討ちをしました。
源範頼
六男は源範頼(のりより)という人物です。
大河ドラマで迫田孝也さんが好演している、人の良さそうな人物がこの人です。
平家討伐にあたって、義経は主に中国・四国を攻めましたが、この範頼は九州を平定するという大きな役割を果たしました。
今後のドラマでの活躍が期待されます。
阿野全成
七男は僧の阿野全成という人物です。
大河ドラマでもよく出ており、新納慎也さんが演じています。
頼朝挙兵後、最初に頼朝と合流した兄弟です。
義円
義円(ぎえん)という人物が八男です。
ドラマで「菅田将暉義経」の腹黒さアピールのために犠牲になった僧です。
阿野全成、源義経とは父も母もおなじです。
叔父の源行家の挙兵に参加し、一人で奇襲を仕掛けますが失敗。
その戦で討ち取られています。
源義経
おそらく一番有名、下手をすると頼朝よりも知名度が高い源義経は男子の末っ子です。
他の同母兄弟である阿野全成・義円が僧となったにもかかわらず、義経は僧になることを拒否して抜け出し、自ら元服をおこなって奥州藤原氏のもとへ身を寄せます。
その後の活躍は皆さんのご存知のとおりです。
三男なのに何故源氏の棟梁になったの?
源頼朝は三男です。
この時代、普通は長男が棟梁になりますが、長男の義平の母は遊女だとされています。
風習のため、義平の継承順位は下がることになります。
さらに、次男・朝長の母より頼朝の母の家柄が良いため、最初から頼朝が嫡男であったと言われています。
もともと源氏は頼朝が継ぐはずでした。
だからこそ、挙兵の時に大きな戦力を集める事ができました。
ただ、挙兵の時点では、長男・次男とも既に亡くなっています。
頼朝はどちらにせよ「源氏を率い、平家を滅ぼすための旗頭」という立場になったということです。。