【光る君へ】藤原伊周の性格はどうだった?道長のライバルの最期と死因

大河ドラマ「光る君へ」で、三浦翔平さんが演じる「藤原伊周」。

主人公であるまひろの想い人・藤原道長と政争を繰り広げることになる彼は、大河ドラマでは少し悪役っぽい描かれ方をしています。

実際の性格はどうだったのでしょうか?

藤原伊周の性格は?

藤原伊周は「漢学に関しては一条朝随一の才能」とされながら、性格に関しては「心をさなくおはする人(心の幼い人)」との評価がなされています。

宣旨(天皇の命令を伝達する文章)に不満を唱えたり、厳しい倹約令で公卿たちの不評を買ったり、権力への強い執着を見せたりなど、まあまあ為政者として器量不足を伺わせる記録が残されています。

というか、花山法皇を(誤ってではあるが)弓で射させ、東三条院(藤原詮子)を呪詛し、大元帥法(※敵国降伏を祈願する呪術:天皇がいる宮中でのみ国家として行うことができる)を私に行ったりとわりとやりたい放題やっています。

政敵であった藤原道長のほうが「人柄も資質もはるかに優れていた」と言われていますので、藤原伊周の性格は政を行うのには難ありだったのかもしれません。

藤原伊周の最期と死因は?

藤原伊周は、「長徳の変」と言われる事件を起こし、一度流罪になります。

この流罪を嫌がった伊周は、なんとか逃れようとしますが密告により捕らわれて太宰府へ送られます。

翌年、伊周は恩赦によって京へ帰還。

しかし、以前のような権力を持つことはできず、37歳で失意のうちに亡くなります。

死因は明らかにされていません。

なお、京へ戻った伊周は、再び権力を得るため道長の暗殺を目論んだという話がありますが、実行されなかったため、真偽の程はわかりません。

いずれにせよ、藤原道長にとって最大の政敵となったのはこの藤原伊周だったと言えそうです。

まとめ

藤原伊周の性格は「心の幼い人」

漢学に関してはかなりの才能を持つ

叔父・藤原道長と比べると器量不足だった様子

事件を起こし流罪、他にもいくつか事件未遂のあやしい噂あり

以上、藤原道長の最大の政敵となる藤原伊周についてでした。

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